隠された意味
2010年 04月 16日
この言葉を心に潜め2006年の、ぴったりハロウイーンの日の夕刻、ニセコの丘で暗殺者のように入念に計画を立ててシュートした一枚。実は、この時刻の前迄、僕もこのカボチャの収穫の手伝いをしていた。こうして僕の傍観的それまでの脳風景とは一線を引く独自の視線での働く写真が生まれた。アートを知れば知る程に農家に成りたかった。されど生家は離農。ニセコで新規就農の流れに乗っては見たものの、親子三代の続いて来たような農家と同一線上で張り合う状態の現況。農協さんに、あれ買え、これ買え.あの農地がいいぞ。牧場が厩舎付き住宅付きで居抜きで競売に。羊1頭5,000円。なんて雪だるま式に規模を大きくした。コレクション癖も手伝って、とんでもなくなった。倉庫で預かってやる。何て言われて、最後は何も残らないくらい騙されちゃった。あの時、ご意見番のスーパー頭の回転が速い、最愛のSちゃんが、居てくれたら良かったと思う。仕舞いには、小樽に行って留守している間に残った農機具諸々全て、誰かに持ち去られてしまったしね。ある人は「俺に預けな、何処へ売るよりも高く売ってあげるからさ。」親友と近い人だし目上の人だから疑う余地も無く任せた。」父とサイロで首つりをした酪農一家を、この目で見た事が有る。父が夜逃げする家族を手助けした状況も目にして来たのに。それでも農家に成りたかったんだ。だって格好良いだろ!美しいだろ。絵に描かれても、写真に何処から写されても美しい生活がしたかった。旧約聖書を再読し更に僕は農家に恋をした。
by mugnum-yoda
| 2010-04-16 18:41