2008年12月5日、老舗ロックバンドTHE MODS撮影中!くも膜下出血を発症、一緒に仕事をしていた最愛の女性の迅速な対応が功を奏し、重症ながら危篤から生還。身体の後遺症、心の後遺症の中、自分探ししています。


by mugnum-yoda
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追悼、Dennis Hopper

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デニス・ホッパーさん、74歳で死去 『イージー・ライダー』で一世を風靡 - /a>の今朝のニュースに、焦りまくった。脳外科的症状のフラッシュバックでもなく、精神科的症状のフラッシュバックでもなく、彼にまつわるエトセトラがフラッシュバックして止まらない。焦る。実は、このアスペルガーたる特殊構造の脳で、僕は、この記憶、記録のフラッシュを意図して自由に扱える。検索ワードで脳内の引き出しから、一気に取り出せる。更に映像に関しては、似たような画像を、選りすぐりスクロール。クリエート作業に向いた人が多いのも、同じような脳構造が由縁であろう。今回のエントリーの写真、相棒のブログ記事RIDE ON TIMEに呼応しようと用意したばかり、でも、今回は一人のクリエーターとしてデニスさんに影響された事への感謝を追悼にしたいと思います。
皆様は、デニス・ホッパーと言うと馴染みが薄いのかな?どう言えば良いかな?やっぱり、セオリーどおり、映画"EASY RIDER"の監督主演した人が、通り良いのかな?僕、ブログでもプライベートでも自由を表現するのに、この映画”EASY RIDER"の冒頭の腕時計のシーンとガソリンタンクに忍ばせた枯れ草の話しを友人に後輩に弟子にして来た。実は後日談で、僕は某有名の日本のメーカーの輸出向けプロモーションビデオで、その冒頭シーンを、そっくりCOPYCATした。RIDER繋がりで、僕はシュチュエーションをサーファーが波探しの旅に出ようとするシーンに置き換えた。ベニスビーチ、サンディエゴ,バハカルフォルニア、ニューメキシコと足早に撮影した。何でも仕事に遊びを持ち込みたかった。その逆の遊び場に仕事を持ち込みたかった。この仕事も、そんな一連のひとつ。冒頭シーン、ベニスビーチの外れ、オールズ・モービルのオープンにサーフボード、金髪女性を満載して、当時流行していたシリーズ映画”キャノンボール”的なコミカル演出で、本家と同じく腕時計を投げ捨てる。これを見ていた。ヒスパニック達が、こぞって金メッキのロレックスを売りに来る。其処へ、想いっきり車高を上げてワイドタイヤを履いた4WD車が大爆音で登場。クローズアップ。先ほどの捨てられた腕時計にタイヤが乗り上げる瞬間!つまり捨てたけど潰されたけどG-shockは壊れない。を子供の頃に見た。像が踏んでも壊れない筆入れのように真似してみたかった。落ちは先ほどの時計売りが売ってくれとせがむシーン、ロレックス三本と交換してEND。EASY RIDERの中でエイプハンガーと呼ばれる、アップハンドルのハーレーでは無く、ドラッグライザーと呼ばれる一文字ハンドルのハーレー乗っていたCOWBOYHATの男がデニス・ホッパー。その他、沢山の映画に出演しているけど、皆様が知ってそうな映画だと、キアヌ・リーブス主演の”SPEED"に登場する頭の切れる爆弾魔の役かな?バスジャックしたバス内の状況を知る映像が、エンドレステープによるフェイクだと気が付くシーンの名演技。忘すれもしない。僕のはじめての就職先、印刷とか製版とか、版下屋とかはアルバイト。就職先は、原宿に三店舗、青山に一店舗、系列飲食店一店舗のロックバンド、COOLSのリーダーが営む会社だった。その時の同期がアーティストのクレージー剣君、そしてひとつ後輩に、最近コメントを入れてくれるタカシ君がいた。毎日、毎日。メンバーのカスタマイズしたハーレーをアメ車を洗ってワックスかけて、春空夏のこの時期は、曇りひとつ浮かないように徹底的に磨いた。何時も、少しだけ場所を移動して、出来るだけ一目に着く所で、その作業をしてた。可愛がってた渋ガキ隊のメンバーが覗きに来たり、ハーレー繋がりで銀のアクセサリーで有名なgoro'sの五郎さんが来たり。元メンバーの岩城滉一さんが遊びに来て僕らにソフトクリーム差し入れてくれたりね。僕らもメンバーの人気の七光りで、女性週刊誌に良く写されたpopteenだの、Gal'sLife 、Fine、SevenTeenとかね。どうも本当は僕らはメンバーのように硬派を目指していたけど、編集者の目からは甘いマスクと判断されて随分と写真写された。当時の仲間だとタカシ君のマブだった沖田君とか、その後、COOLSの身内関係からはフミヤ君とか甘いマスクが人気だった時代。タカシ君も僕も雑誌のファンの人気投票じゃいつも上位だった。(笑)僕らが与えられた仕事場は""CHOPPER”と言うブティック、今で言うアメリカンなライダースウエアとロックンローラーの洋服の店。根っからの小文で探求分析しないと済まない僕は、ハーレーに関する事、ロックンロールに関する事,インターネットなんて無い時代。相変わらず近所の嶋田洋書に出向き、新刊の索引からタイトルから連想して、注文しまくった。大当たりもあり、外れも多かった。(笑)洋物バイク雑誌のグラビア(注文で買うとマジックの修正が無かったね。)キラー通りを下った霞町のアマンド近くに、僕がグラFヒックで御手伝いしたDCブランドのハッカさんの並びに、夕陽評論家の湯井さんが営むスポーツトレインが出来て、僕は海外通販を彼に教えて頂き、購読していた洋書、EASY RIDERSやHOTRODで本物のバイカーグッズ等を手に入れ、それをサンプルに現物型紙を起こし、工場発注、パーツ選びしてオリジナルの製作の糧にした。恐らく、今、巷に溢れている鎖付きのバイカーズウオレットを日本ではじめて制作したデザイナーは僕であろう。
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by mugnum-yoda | 2010-05-30 14:16 | WHEELS