2008年12月5日、老舗ロックバンドTHE MODS撮影中!くも膜下出血を発症、一緒に仕事をしていた最愛の女性の迅速な対応が功を奏し、重症ながら危篤から生還。身体の後遺症、心の後遺症の中、自分探ししています。


by mugnum-yoda
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夏至の想い出

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2007年6月21日の想い出。長い一日だった。写真より、大切な荷物を乗せて長距離の運転の責任が僕には快感だった。この日の為に買った中古のランドクルーザー、始めてのトヨタ車だった。日産のテラノとか、三菱のパジェロ、チャレンジャーなら、リーリース前からカタログに新聞に、雑誌にポスター、CFと製作裏話に花を咲かせたけどね。写真のデータの撮影時間を時系列に並べてみると、夏至を挟んで僕は8日間、寝てない写しっぱなし。感情が高ぶって覚醒していたんだと、今知る。覚醒って薬物じゃないぜ。自閉症の特徴のひとつに、眠らなくても平気。何かを始めると修了出来ない。と言う不思議な特徴がある。僕はまさに、そのケース、そのもの。大好きな事を心地良い事を始め出すと終われないのだ。追われ無いどころか、更にもっと、もっとを追求してしまう。犬も何か心地よい事始めると終われないでしょ。あれと一緒の脳構造らしい。そそんな犬にバケツで水かけたりするでしょ?誰かが水をと思うのだが、そういった時、邪魔されると、癇癪が止まらなくなるし。本日エントリーの写真は同行の若き巨匠に一年間で最も緩慢さの大きな夏至の日の引き潮を見せたくて、普段でも干満差だけで腰から胸の波がある火山灰土の赤い砂浜で遊んだ。僕の写真に何度も登場し、何度も最愛のSちゃんと、可愛い犬達と遊んだ僕の秘密の場所。500メートル程、引き潮の時は沖合まで歩いて行ける。夏には波乗りする横にイルカがウミガメが泳ぐ暖流の流れ込む大きな入り江の行き止まり。僕のマジック・プレイス。何時か平底の船を浮かべて水着モデル撮影会したい。カルフォルニアのビーチに一日居ると必ず出くわす。海の中でのモデル撮影。アロハシャツの音達が胸首まで浸かってライトをレフを掲げて、カメラマンはビート版にカメラを乗せて、アメリカは凄い国だ、プロの特別な撮影テクニックが、ただロケーションの良い場所で良い条件の日に遊んでいるだけで、次から次から、盗み見る事が出来た。この現場を見られて居る事実が、モデルをスタッフを高揚させるのだ。またセレブ撮影だと、ローカルの口コミも、宣伝広報の有効な手段とされる。僕はヘアとかは反対だが、公の中での作業は文化向上に必要不可欠だ。と理念を抱いている。庭師の公共での業、敏腕ドライバーの見事なバックでのクランクとかも、集荷に来たドライバーの巧みな伝票起こし、暗算。手業を持っている皆さん。自信をプライドを持って、その美しい作業風景を公衆の目に晒そうよ、次世代を担う若者が、本物を感じる瞬間を増やす日本でありたい。サッカーのプロが自身の身体の一部のようにボールを操る瞬間を子供が見ている筋書きのCFを、青山近くで作業した。三菱のミラージュボウルと言うフットボールイベントが代々木だったか、千駄ヶ谷で開かれた年。アメリカからクレムソン・タイガースがやってきた。作業を公に晒すと言う戦略は、かつてFOXFIREと言うブランドの仕事で出入りしていた浜野商品研究所のボスである浜野安広先生から直接教えて頂いた。僕がプランナー、デザイナーとして介入させて頂いたのは、古巣、原宿のラ・フォーレビルの横に出来たjointビル。渋谷のPARCOの壁画を皮切りに、JOINTのロゴ看板、原宿DEPTストアの看板、青山オンサンデースの壁にキース・ヘリングと一緒に描いた。原宿バナナボートの看板、裏原宿プロペラの看板そして内装の手伝い。その見せる見られるの体験は、ビルの中で何をやっているか見せるプランニング、そして、僕が手がけた店舗設計へ、その昔、3オン3のバスケが流行、それを店舗の中庭に配したのが明治通り沿いに作ったんだけど覚えてる。ちょっとヒントはロックンロール系の映画のバスケのシーンと金網だった。当時金網デスマッチなる大仁田さんの興行があった。彼とも面識が有るが、アイディアが楽しかった。僕が言うのもなんだがクレージーな人だった。映画のblues bros.でも金網の中でのバンド演奏があったり、フェンスは時代のファクターだった。原宿のセントラルアパートの復興会議に地元に精通する若者代表で出た。金網の中にスケートボード、インライン・スケートの3Dなランプを設置して、その周りをアメリカンダイナースタイルの雰囲気で、良くショッピングモールにあるようなテナント式のフードコートを提案したが、僕の古くから広報と付き合いのあるムラサキスポーツ、MINAMIスポーツさんからの協賛が、セントラルアパートパティオと言う閉鎖環境の為に頂けなかった。当時、セントラルアパートを根城にする糸井重里先生、ヘタウマのテリー湯村さんと交遊が、あったので、彼らに僕の箱庭世界を見て頂きたくて必要以上に頑張った年。それが縁で、原宿駅前のオッシュマンズと言う大型スポーツ店のオープン,店舗設計のプランのアウトラインの僅かを担当させて頂いた。その後アウトレットブームで、僕は大型アウトドア店スポーツ店の店舗プランニングに振れる事になる、忙しくて快感。飛行機移動、新幹線移動。海外視察。さらにオートキャンプ場ブーム。丁度この頃、頭が自然にメッシュに、てんかん発作を連発したのもこの頃、コレも幼少期から脳が回転し過ぎてオーバーヒートしてフリーズしてしまうんだ。大阪駅高架下にグレートアウトドアーズと良言うアウトドアブランド、アウトレットタウンに川を流したのは僕。札幌のアウトレット店BLUEHOUSEのプロデユースした手稲の近くのアウトドアアウトレットに池を作ったのは僕。豊島園のシーズンオフを虹鱒釣り堀にしたのは僕。葛西だったかに作った巨大室内ゲレンデ、ザウスの仕事も楽しかった。その昔、「私をスキーに連れてって」のホイチョイプロダクション系のプランナーの大先輩INさんと仕事した時間を思い出して頑張ったんだよ。そしてk2プロダクションがらみで金沢八景ワイドブルーヨコハマ。まだまだ続けたい。いつかは壊れる砂のお城だけど、スタートダッシュ時の興奮はエクスタシーでした。誰か助けて僕に、また脳をフル稼働するチャンスを与えてよう。
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by mugnum-yoda | 2010-06-26 05:46