かしこみ、かしこみ。
2010年 07月 17日
社の表から沢山の望遠レンズ並んでいたけど、僕はその砲列にかまう事無く、言うなればVIP席へと案内された。その写真が社ホームページ、小樽市の観光のホームページで使ってもらったことまで思い出した。その翌年は、僕は入院中でパートナーのSちゃんが、ひとり、僕の意志を継いで神事の撮影に当たってくれた。思い出す事だらけであった。手術後の中村記念脳外科急性期病棟で、手術してくれた先生が、毎日介助に来てくれていたSちゃんに、はじめての外出の意味を話していた。「発症前、慣れ親しんだ場所、その時と同じ条件が有れば尚更、雨なら雨。その場所で、その時した事を同じようにしてご覧。壊死して削除した脳の持っていた記憶も、何らかの似た鍵によって扉が開く。脳はネットワークだからひとつ繋がり出すと、ドンドン繋がると言っていた。」嬉しい会話だったSちゃんも真剣な面持ちで聞いていた。でも、恥ずかしいけど、外出がなかなか叶わなくて、何故?リハビリ外出させてくれないのか暫く解らなかった。聞かなきゃ想像付かないでしょ?僕と同時にお父さんも、お母さんも同時に手術入院してるなんてさあ。親子で切り盛りしてた小さな自営業だけど、大人三人でやってた仕事、小ちゃなSちゃん、ひとりで頑張ったんだ。好きな波乗りも、ダンスのイベントも我慢して献身的に働いていたんだよ。それに加え、中々先が見えない僕の症状でしょ。「まあちゃん、早く写してくれないと私、おばちゃんになっちゃうよう。」最愛の彼女の叫びに僕の人生で見聞したNYでのLAでのコマーシャル撮影、ハリウッドの現場、タヒチ、ハワイでのビーチウエディングのライティングを彼女の為だけに再現したいと思う。日頃、アートディレクター時代に、海外のロケクルーが見せてくれた撮影セッティングの模式図をdaisaku君がプレゼントしてくれた色鉛筆とスケッチブック二描いている。ディレクターだから、その撮影方法をで出来うる完成図をリアルなカンプにして現場を思い出している。そんなスケッチ皆さんにブログで見せたいけど僕には手段が無い。社での夜、僕は自分の機材を持っていない無いので、彼女の機材一式を借り受けた。直感的に写す事は最初からしなかった。日常、直感的に自動販売機を押して、欲しい飲み物が出て来た事が無いからね。ファインダーを覗くのは1年2ヶ月ぶり。ピントを決めるカーソル、露出を計測するカーソルがファインダーの中に探せなかった。視野の欠損である。僕の有効視野を説明しよう。視野の全てをテレビ画面とすると、まず縦に五分の一にして右端の短冊を更に横四分の一にした右下の小さな一角が僕に残された有効な視野なのです。日頃、食事を食べるのもTVを見るのもPCに向かうのも、この視野内に収まるように身体を首を傾けています。斜視の症状の人と同じだと言います。この症状を治療するプリズム眼鏡と言う横方向の潜望鏡みたいな道具が開発されているようですが、かなりの経費が掛かるようで、特に治る必要なしと言う父の元では暖簾に腕押し、こんな道具知らなきゃ良かったと思う有様です。悲しい。またうざいと笑われるね。でもね、ビジュアルアーツ世界の人間が左半盲の太鼓判がカルテに押されてるんだよ最愛のSちゃん曰く、新しいカメラの可動するビューファインダーはどう?とかアイディアだしてくれるけど、藁をも掴みたいけど、働けない状態の現在では、試してみる事すら出来ない。祭りの夜、ファインダー内の表示も、レリーズ近くの露出表示すら見えなくて、全て真ニュアルで写した。友達で緑内障だか白内障で視野を煩煩った人からAFで全てAUTOでノーファインダーで写しても依田さんの写真は依田さんの写真だよ。」と元気を頂いたけど、アスペルガーで構築型クリエーションの僕は、最後の最後までじっくり、僅かな差異の有無を見極めたいのです。この部分が表現世界の興奮する場面ですから譲れないよね。可能な限り、全ての機材を自分の手足のように操りたいよね。さて撮影、フル真ニュアル、カメラの機能は身体が覚えてた。本当に嬉しかったカメラの感触。ちょいと反省は一脚も無い為にISO1000と言う設定にしか出来なかった事。踊りの動作の動きは容認だけどね、僕自身が定まらない。右手と左手を併せての作業が一番巧く行かないんだ。お弁当の小さな醤油とか薬の袋ドヒャー!納豆をかき回す最悪。バナナの皮?中身がポロっ!カメラもしかり、暴れて、暴れて。どうにか身体の動体に固定出来るユニバーサルデザインを手に入れたいよ。ピントはフォーカススクリーンが無いから、感覚的にシャープに見える瞬間、KONNTORストが一瞬カチンとして、ハイライトが最も高輝度に見える瞬間を、かつて大先生から學んだ電光石火のピント合わせを初心に帰り実践。踊り子の白いハイライトが、先ほどの自発光する僕の白い靴のように見えた瞬間のピントをホールドした。明るさを得るため開放気味だから、これが限界精度であろう。あとは手前と奥の踊り子の動きがシンクロする瞬間をレリーズタイミングとして待った。ん?カメラ曲がってないかな?どう?僕を誘うかに踊り子の白いハイライトが手招きして迷う僕を救い出してくれた不思議な光の軌跡はどやら奇跡らしい。ふと狐につままれたように不思議、宮崎駿的迷宮に僕は迷い込んだ。時折、耳元に大好きな人の声と吐息が届いた。ますます甘美であった。ふと厳かな神事を前に、僕は神繋がりか、ジョルジュ・ド・ラ・トウールの「大工の聖ヨハネ」と言う絵画を連想した。その絵は夜の静まりの中で、黙々と作業している父ヨセフと、一本のキャンドルを灯して手伝いをしてイエス。
神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。」(創世記1章3節)
この方にいのちがあった。このいのちは人のひかりであった。
(ヨハネによる福音書1章4節)
「光は闇の中に輝いている.闇はこれに打ち勝たなかった。」
(ヨハネの福音書1章5節)
「すべての人を照らす誠の光が世に来ようとしていた。」
(ヨハネの福音書1章9節)
「イエスはまた彼らに語って言われた。『私は世の光です。私に従う者は、決して闇の中を
歩む事が無く、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8章12節)
僕は日本古来よりの神事を目の前にトランス、いつもアートディレクションの現場で英語でフランス語で暗唱して、スタッフとライトを太陽を捕まえた。聖書の言葉は世界をまたぐクリエイターにとって共通語である。僕にとっての神はイエスでも無く社に祀られたそれでもなく、光なんだ。僕に人知れず光を与えて下さるSちゃん、そしてSちゃんの家族、ブログの記事から読みとって、次々と資料を続けて贈って下さるTAKE様、Manfrotto Distribution様、GIN-ICHI 様も、僕の大事な大事な神様。上記の光に関する聖書の抜粋と「太陽はひとつ」のライティングの基本を重ねて見て下さい。重病を患い大きな闇を味わった今、自閉症で感覚機能の全てが過敏なのに、更に上乗せして光に対して敏感です。そんな心で写した写真です。一年と2ヶ月ぶりの外出&撮影リハビリデートで、色々自信がつきました。無欲で応援してくれるSちゃんを困らせた鬱の僕ですが、色々と欲も、やる気も湧いて来ました。応援して下さるSちゃん、Sちゃんの家族を始めとする多くの皆様の為にも、すっごく、頑張るので、応援宜しくお願いします。
写真ブログランキング参加しています。皆様、少し心にも明りが刺して来ました。現場復帰への励みに、今一度カチャリ応援、宜しくお願い申し上げます。
by mugnum-yoda
| 2010-07-17 11:51