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2008年12月5日、老舗ロックバンドTHE MODS撮影中!くも膜下出血を発症、一緒に仕事をしていた最愛の女性の迅速な対応が功を奏し、重症ながら危篤から生還。身体の後遺症、心の後遺症の中、自分探ししています。


by mugnum-yoda
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かしこみ、かしこみ。

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2010年7月15日の記憶。「ただいま。」と小さな声で挨拶をし、社への敷居をまたいだ。暗がりに僕の真っ白なコンバースのスニーカーが自発光する生物のように不思議だった。眩しかった。症状で左半身の手足の末端を脳が認識出来ていない。それが原因で病棟の階段を踏み外したり、男子小便器に足が入って転んだり、ベットの乗り降りにベットのガードに片膝が残り床へ顔面ダイブ。この症状が危険性が高いので、僕は行動を制限されているんだ。今、病院内でも外出時でも必ず装着している頭部保護帽も、自分から言い出して用意して貰った。僕は自閉症の皆さんがそうであるように、心の痛みには弱いが不思議と外傷の痛みには強いんだ。欧米のアスリートが怪我しても、怪我しても平気なのは、モンゴロイドと比較して皮膚面積に対する痛点の密度が少ないから、あのGO FOR IT !精神が、あるらしい。脳外科で末梢神経の麻痺の専門の先生に手足の痛感テストしていただいた。それにより、僕の右と左は、それぞれ脳の命令に対して別々のパーソナリティーで脳からの命令に答えている。末梢神経の壊死は心臓が停止していた僅かな時間、血流が停まっていた事に起因する。この末梢神経で、何が変わるかと言うと、解りやすく説明すると、携帯電話やTVリモコンが押せない。PCのトラックパッドが反応しない。ダブルクリックが出来ない。ノートや本を1ページづつめくれない。キャラメル等の包装紙が開けない。フォトグラファーとして、悲しいのは、フォーカスロック、露出ロックを多用する僕なのにレリーズボタンの半押しが出来ないんだ。脳の命令にアクティブな左手の親指でシャッターが押せる手段が見いだせれば解消出来るかも。障害者利用を踏まえたユニバーサルデザイン、心身のバリアフリーを考慮した写真ツール。クリエイティブツールが、必ず何処かの国にあるはず。輸入業者様、私に光への道をお教え下さい。キャノンのジョグダイヤルも操作出来ない。ニコン機の上下左右へのカーソルボタンも正しく操作出来ません。僕が白い靴を履いているのは、似合う似合わないの前に、視認性を高くすれば、脳の誤認が緩和されると、ネット上にあった左半側空間無視、半亡の学会発表の臨床論文より、色のプロとして自ら、色の持つパワーに身を委ねてみようと白い靴を購入した。もっともっと沢山、自ら病気の理解から得た役立つツールでリハビリしたいけど、出来ればアウトドア用品や服飾デザインの知識を活かして、ユニバーサルやバリアフリー思想のデザインで商品開発の現場に立ちたいと思う。それらの手がかりに、まず自分を実験材料として、アスペルガー故の創意工夫ロジックを現実化する為に視認性の高さ=認知し易い=安全=快適=ストレスフリーをフロチャート発想法に落とし込んで得意の「人を動かす」企画書的に頭を動かす事を楽しんでいる。実現した暁には、光溢れる日々が待っている。と信じてロジックする毎日、発症前、高次な脳作業と様々な道具を扱う比重が生活の中で高い人間程、脳卒中の後遺症の痛手は大きいと、どの本にも記載されているが、僕は、その例に挙げられている通りの生き様であった。それが示す通り僕は心身共に自信喪失から来る強度の脳卒中後鬱病のトップランナーである。自分へのリハビリテーションに相応しい道具、処方をディレクションする事が、慰めである。古くから僕を応援してくれている方々から、「応援したいけど、今、どんな病状で、どんな環境で、経済状態は、体調は心は?って聞かせてくれないと何を応援して良いか解らないよ。」とメッセージがあり、使役犬タイプの僕は、即時から、ブログで、詳細に心身共にの現況を書き綴って来た。生まれながらの感受性の強さ、そして自家中毒と言うデリケートな子供しか掛からない病気のキャリアである僕は、感覚の鋭さが足かせのようにナイーブさを増し学校ではコミュニュケーション障害、ただ僕は何かに没頭する事が精神安定。なのに精神科にいながら自分へのセルフレスキュー行為を平日は縛られている。PC二迎えてNETに繋げる時間なんて僅か、しかも携帯デバイスからのネットワーク接続、コンクリートの要塞から拾える時間も限られてるしね。そんな環境からのファンへ向けたメッセージなのに鬱病患者に青酸カリを贈るようなカミソリのようなクレージーなメッセージの多さに悲しくて涙が渇く暇がない。そんな時の僕のバイブルとなるのがSIGMA さんのカタログだったり、プロペットさんのカタログだったり、Manfrottoさんのカタログだったり、発症前に僅かな道具を購入しただけなのに、銀一さんテイクさんが、闘病の僕に途切れる事無く日本内外の写真業界の情報を届けて下さっている。時にはカメラ雑誌のバックナンバーも添えて下さっている。流石、日頃,光を扱う会社の皆様の、心底弱り切っている人間への光の当て方が巧みだなあと想い。泣けて泣けてたまらなかった。僕も光を扱う会社の力になりたい。だって世の中に光を当てる仕事だよ。素晴らしいじゃない。死後,臓器移植で僕が世の中に役立てる事より、生まれ持った自閉症アスペルガー脳で、考えられるうちに、それらの仕事の会社の役に立ちたい。あの発明家エジソン、アインシュタイン、ガリレオ、芸術家ミケ・ランジェロ,映画監督スピルバーグと同じタイプの追求構築型の「何かを見れば何かを思い出す」特殊な脳なんだ。世話になった表現分野の世界に役立って死にたい。親類には発明家も多いし、僕も僅かながら実用新案特許をアウトドア用品に持っているしね。冒頭の白い靴、本当は試す前から効果が物理的に理解していたけど、欲しくても手に入れる迄,道のりは、遠かった。実の父はリハビリして現場復帰よりも、発症直後より、マッサージ師の学校に行け、YOGAの先生になれと僕を怒鳴る。僕はシオシオだ。最愛のSちゃんが撮影仕事をセッティングしてくれても、「昌也は障害者として生きるんだ。」とSちゃんを怒鳴る。Sちゃん可愛そう。また、何か病因暮らしで何か欲しいものが出来たとき父に願うと、「Sちゃんが面倒見てくれるから、sちゃん無家の近くの病院に転院したんだから、お門違いだSちゃんに頼め。もしくは日本中に、お前を師匠と呼ぶ仲間が居るんだろ?そう言う人に頼んでみろ。」僕、解らない?脳外科の先生や作業療法士さんとも父は衝突。恥ずかしい。白い靴が実現したのは、とある素敵な人のお母さんが杖をつきながら病室の僕を尋ねてくれた際に頂いたお見舞いで購入する事が出来たんだ。それと同時に購入した白のアクセントのあるズボンのセットは大好きな人のお母さんから頂いた僕の足下を照らす一筋の誘導灯そのもの。社の玄関で僕は靴を上手く脱げなかった。玄関のたたきに腰を下ろして、大好きなSちゃんに介助してもらった。さて靴下の状態で社の中の輝くフローリングを歩くのには、足裏感覚の麻痺と滑る床、暗い廊下の三拍子に手こずって、Sちゃんの手を煩わした。だが不思議と飲酒運転で低迷しているにも関わらず知らぬうちにどこぞへ事故も無しに辿り着くような感覚。あの感覚で天井から操りの糸があるかのように僕は赤い絨毯の迷路を撮影に最も相応しいまで、何者かに誘導された。その昔、相棒のSちゃんと、この場所に迷い込んだ夜は、その社で働く人に僕のブログを見ている人がいて、撮影に相応しい座に案内された事を思い出した。沢山の事、思い出した。
社の表から沢山の望遠レンズ並んでいたけど、僕はその砲列にかまう事無く、言うなればVIP席へと案内された。その写真が社ホームページ、小樽市の観光のホームページで使ってもらったことまで思い出した。その翌年は、僕は入院中でパートナーのSちゃんが、ひとり、僕の意志を継いで神事の撮影に当たってくれた。思い出す事だらけであった。手術後の中村記念脳外科急性期病棟で、手術してくれた先生が、毎日介助に来てくれていたSちゃんに、はじめての外出の意味を話していた。「発症前、慣れ親しんだ場所、その時と同じ条件が有れば尚更、雨なら雨。その場所で、その時した事を同じようにしてご覧。壊死して削除した脳の持っていた記憶も、何らかの似た鍵によって扉が開く。脳はネットワークだからひとつ繋がり出すと、ドンドン繋がると言っていた。」嬉しい会話だったSちゃんも真剣な面持ちで聞いていた。でも、恥ずかしいけど、外出がなかなか叶わなくて、何故?リハビリ外出させてくれないのか暫く解らなかった。聞かなきゃ想像付かないでしょ?僕と同時にお父さんも、お母さんも同時に手術入院してるなんてさあ。親子で切り盛りしてた小さな自営業だけど、大人三人でやってた仕事、小ちゃなSちゃん、ひとりで頑張ったんだ。好きな波乗りも、ダンスのイベントも我慢して献身的に働いていたんだよ。それに加え、中々先が見えない僕の症状でしょ。「まあちゃん、早く写してくれないと私、おばちゃんになっちゃうよう。」最愛の彼女の叫びに僕の人生で見聞したNYでのLAでのコマーシャル撮影、ハリウッドの現場、タヒチ、ハワイでのビーチウエディングのライティングを彼女の為だけに再現したいと思う。日頃、アートディレクター時代に、海外のロケクルーが見せてくれた撮影セッティングの模式図をdaisaku君がプレゼントしてくれた色鉛筆とスケッチブック二描いている。ディレクターだから、その撮影方法をで出来うる完成図をリアルなカンプにして現場を思い出している。そんなスケッチ皆さんにブログで見せたいけど僕には手段が無い。社での夜、僕は自分の機材を持っていない無いので、彼女の機材一式を借り受けた。直感的に写す事は最初からしなかった。日常、直感的に自動販売機を押して、欲しい飲み物が出て来た事が無いからね。ファインダーを覗くのは1年2ヶ月ぶり。ピントを決めるカーソル、露出を計測するカーソルがファインダーの中に探せなかった。視野の欠損である。僕の有効視野を説明しよう。視野の全てをテレビ画面とすると、まず縦に五分の一にして右端の短冊を更に横四分の一にした右下の小さな一角が僕に残された有効な視野なのです。日頃、食事を食べるのもTVを見るのもPCに向かうのも、この視野内に収まるように身体を首を傾けています。斜視の症状の人と同じだと言います。この症状を治療するプリズム眼鏡と言う横方向の潜望鏡みたいな道具が開発されているようですが、かなりの経費が掛かるようで、特に治る必要なしと言う父の元では暖簾に腕押し、こんな道具知らなきゃ良かったと思う有様です。悲しい。またうざいと笑われるね。でもね、ビジュアルアーツ世界の人間が左半盲の太鼓判がカルテに押されてるんだよ最愛のSちゃん曰く、新しいカメラの可動するビューファインダーはどう?とかアイディアだしてくれるけど、藁をも掴みたいけど、働けない状態の現在では、試してみる事すら出来ない。祭りの夜、ファインダー内の表示も、レリーズ近くの露出表示すら見えなくて、全て真ニュアルで写した。友達で緑内障だか白内障で視野を煩煩った人からAFで全てAUTOでノーファインダーで写しても依田さんの写真は依田さんの写真だよ。」と元気を頂いたけど、アスペルガーで構築型クリエーションの僕は、最後の最後までじっくり、僅かな差異の有無を見極めたいのです。この部分が表現世界の興奮する場面ですから譲れないよね。可能な限り、全ての機材を自分の手足のように操りたいよね。さて撮影、フル真ニュアル、カメラの機能は身体が覚えてた。本当に嬉しかったカメラの感触。ちょいと反省は一脚も無い為にISO1000と言う設定にしか出来なかった事。踊りの動作の動きは容認だけどね、僕自身が定まらない。右手と左手を併せての作業が一番巧く行かないんだ。お弁当の小さな醤油とか薬の袋ドヒャー!納豆をかき回す最悪。バナナの皮?中身がポロっ!カメラもしかり、暴れて、暴れて。どうにか身体の動体に固定出来るユニバーサルデザインを手に入れたいよ。ピントはフォーカススクリーンが無いから、感覚的にシャープに見える瞬間、KONNTORストが一瞬カチンとして、ハイライトが最も高輝度に見える瞬間を、かつて大先生から學んだ電光石火のピント合わせを初心に帰り実践。踊り子の白いハイライトが、先ほどの自発光する僕の白い靴のように見えた瞬間のピントをホールドした。明るさを得るため開放気味だから、これが限界精度であろう。あとは手前と奥の踊り子の動きがシンクロする瞬間をレリーズタイミングとして待った。ん?カメラ曲がってないかな?どう?僕を誘うかに踊り子の白いハイライトが手招きして迷う僕を救い出してくれた不思議な光の軌跡はどやら奇跡らしい。ふと狐につままれたように不思議、宮崎駿的迷宮に僕は迷い込んだ。時折、耳元に大好きな人の声と吐息が届いた。ますます甘美であった。ふと厳かな神事を前に、僕は神繋がりか、ジョルジュ・ド・ラ・トウールの「大工の聖ヨハネ」と言う絵画を連想した。その絵は夜の静まりの中で、黙々と作業している父ヨセフと、一本のキャンドルを灯して手伝いをしてイエス。
神は仰せられた。『光あれ。』すると光があった。」(創世記1章3節)
この方にいのちがあった。このいのちは人のひかりであった。
(ヨハネによる福音書1章4節)
「光は闇の中に輝いている.闇はこれに打ち勝たなかった。」
(ヨハネの福音書1章5節)
「すべての人を照らす誠の光が世に来ようとしていた。」
(ヨハネの福音書1章9節)
「イエスはまた彼らに語って言われた。『私は世の光です。私に従う者は、決して闇の中を
歩む事が無く、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8章12節)
僕は日本古来よりの神事を目の前にトランス、いつもアートディレクションの現場で英語でフランス語で暗唱して、スタッフとライトを太陽を捕まえた。聖書の言葉は世界をまたぐクリエイターにとって共通語である。僕にとっての神はイエスでも無く社に祀られたそれでもなく、光なんだ。僕に人知れず光を与えて下さるSちゃん、そしてSちゃんの家族、ブログの記事から読みとって、次々と資料を続けて贈って下さるTAKE様、Manfrotto Distribution様、GIN-ICHI 様も、僕の大事な大事な神様。上記の光に関する聖書の抜粋と「太陽はひとつ」のライティングの基本を重ねて見て下さい。重病を患い大きな闇を味わった今、自閉症で感覚機能の全てが過敏なのに、更に上乗せして光に対して敏感です。そんな心で写した写真です。一年と2ヶ月ぶりの外出&撮影リハビリデートで、色々自信がつきました。無欲で応援してくれるSちゃんを困らせた鬱の僕ですが、色々と欲も、やる気も湧いて来ました。応援して下さるSちゃん、Sちゃんの家族を始めとする多くの皆様の為にも、すっごく、頑張るので、応援宜しくお願いします。
写真ブログランキング参加しています。皆様、少し心にも明りが刺して来ました。現場復帰への励みに、今一度カチャリ応援、宜しくお願い申し上げます。
by mugnum-yoda | 2010-07-17 11:51