2008年12月5日、老舗ロックバンドTHE MODS撮影中!くも膜下出血を発症、一緒に仕事をしていた最愛の女性の迅速な対応が功を奏し、重症ながら危篤から生還。身体の後遺症、心の後遺症の中、自分探ししています。


by mugnum-yoda
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

IN TO THE WILD

b0086920_19211736.jpg
2008年2月6日の記憶。「兄貴が死ぬ前に、俺が死ぬ前に、兄貴、俺を写真に撮ってくれ。」と言う男と最果てを、荒野を彷徨った。インディアンの美しさを表現する最高の言葉のひとつに「死ぬには良き日」と言うのがある。ベストセラーのタイトルにもなった言葉だから、覚えている方も少なくは無いのではなかろうか?僕らコピーライティングの教育を受けた人。そして父のような単文を商いにする方も、限られた素区内スペースで、多くのニュアンスを詰め込まなければ昇華出来ない世界の言葉の職人は世界中の修飾後を、その言葉の持つ背景、思考,思想までも利用し自分のスタイルを築きあげる。僕は自閉症,発達障害で、小学に入っても、ア〜、ウ〜。としか話せなかった。言葉の学校に通い、話せるようになったが、吃りがひどく、シャベRて無い頃よりも虐めの対象に、学校では、虐めによる癇癪で毎日のように硝子を割りながら渡り廊下を走っては先生に、呼び出された、父にも母にもビンタされた。悲しくて更に癇癪。当時は今のように自閉症時の扱い方が一般に知れるような本すらなかったから、本当は、今風に穏やかに、させるにはハグが良いんだけど。僕の扱いに母さんも困ったんだろうね。僕、生まれてから、母さんに抱きしめてもらった事が無い。その件を、今年になって主治医の精神科の先生と父と話し合った。本当にハグして欲しかったんだ。犬が死んだ日「母ちゃん、抱っこしてよ!」と僕は母に訴えた。「子供見たいでしょ!」と母に手に甲を叩かれた。悲しくて、更に泣いた。父さんが僕の家から連れて行った犬が「ウルサいから殺す。」って、わざわざ、精神科の病棟まで電話呼び出しで、悲しくて怖くて、母さんにお願いした。「母さん、みんな無駄吠えする犬じゃないよ。不安なだけだよ。母さん、僕の代わりに犬をぎゅうって抱きしめて、一生のお願いだよう。」母は「昌也、お前が入院したお陰で忙しくて、全然、近所付き合い出来ていないんだよ!みんなM母さんの漬け物が届くの待っている人が沢山いるから、漬け物急いで漬けないとならないから、犬どころじゃないよ。」悲しくて、悲しくて、ずっと寝られなくなった。母親の愛情が薄い男子は,GFに母親の理想像をを見るそうである。ケース的には多い事例、クリエーターに多い化女性願望も、これらをほったんとするそうである。更に、僕は遺伝子異常で女性ホルモンが多いんだ。出逢った事がある方なら、おわかりだろうが女装や女言葉使わないが男性として意識しないはずだ。大好きなSちゃんの事を「お母ちゃん。」って呼び間違うのも、幼少時の母親の愛情の希薄によるものだって。ゴメンネ、Sちゃん。映画『イントゥ・ザ・ワイルド』 オフィシャルサイトベトナム戦争末期、僕は歯が痛い訳ではないが、大好きな一番年齢の近い大好きな叔母、丈ちゃんの働く歯医者に通った、近所では兄弟だと思ってた人も多かった。彼女は母の代わりに僕を学校へ行くときも遊びに行くときもオンブしてくれた。容姿は自分ではブスだと言っていたが、当時流行のアイドル天地真理を少し奇麗にした感じだった。僕は天地真理のコンサートに行く程、真理ちゃんが好きだった。だって、大好きな丈ちゃんに似てたからね。歯医者に通ったのは、丈ちゃんの仕事を覗くのも好きだったけど、其処のひんやりとした待合室にあった漫画の週刊誌が見たかった。目当ては小年サンデーに掲載されていた望月三起也の「夜明けのマッキー」だ。この漫画が無かったら僕は絵描きに成っていたと思う。この漫画に登場する主人公の自身の写真で戦争を終結させるという使命に燃えるカメラマンに憧れ、もう僕もベトナム写しに行かなくちゃと決めた。まだカメラすら手にした事が無いが、粋なり、決めた。それまで絵でも書道ででも彫刻でも、どれも始めて一ヶ月くらいで大きな展覧会に入選していたから、カメラさえ手にすれば、もうベトナムに行けるくらいに思っていた。1970年代初頭の話である。子供達の遊びも当時は毎日の戦争報道に戦争ごっこが大流行り、僕も開発局に勤める伯父さんに貰ったヘルメットを国防色に塗り父のカメラを銃の代わりに首から下げ「開戦は〜じまった。」の合図で野山を駆け、川を飛び越えた。カメラを手にした僕は、どんな写真を写して居たかと言うと。僕の一歳の誕生日に貰ったアメリカンコッカーのチエッキーにシロルメグサの髪飾りをつけて、時にはサングラスかけさせたりして庭一面のデイジーのカーペットの上で何度も何度も何ロールも写していた。残されたフイルムを見ると、大好きなSちゃんを写す時と同じ心境だったのではと想像する。いつか引き伸ばし機を手に入れたら皆さんに見て貰おうと思う。父が状況時代から海外の映画特にアメリカ映画のファンだったから当時のハリウッド女優の写真が家にあったからポートレートにも興味がある。当時の僕のモデルは犬のチエッキーと、爺ちゃん。戦争ごっこに爺ちゃんの猟銃を持ち出したときは顎が外れる程、殴られたけど、僕は大好きだった。爺ちゃんは、僕の従軍カメラマンへの話に、爺ちゃんが昭和新山の大爆発の被災者の痛い捜索の任務で、警察犬を率いて警察官として本州から北海道に渡り、来る日も来る日も遺体の中を歩いた話を聞かせてくれた。爺ちゃんがわかさいも本舗の創始者とゴルフやハンティングに友達付き合いをしていたのは、この頃に始まったようだ。子供心に壊れた、今で言うB品のわかさいもは美味しかった。
[PR]
by mugnum-yoda | 2010-08-01 20:08