2008年12月5日、老舗ロックバンドTHE MODS撮影中!くも膜下出血を発症、一緒に仕事をしていた最愛の女性の迅速な対応が功を奏し、重症ながら危篤から生還。身体の後遺症、心の後遺症の中、自分探ししています。


by mugnum-yoda
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IN TO THE WILD

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2008年2月6日の記憶。「兄貴が死ぬ前に、俺が死ぬ前に、兄貴、俺を写真に撮ってくれ。」と言う男と最果てを、荒野を彷徨った。インディアンの美しさを表現する最高の言葉のひとつに「死ぬには良き日」と言うのがある。ベストセラーのタイトルにもなった言葉だから、覚えている方も少なくは無いのではなかろうか?僕らコピーライティングの教育を受けた人。そして父のような単文を商いにする方も、限られた素区内スペースで、多くのニュアンスを詰め込まなければ昇華出来ない世界の言葉の職人は世界中の修飾後を、その言葉の持つ背景、思考,思想までも利用し自分のスタイルを築きあげる。僕は自閉症,発達障害で、小学に入っても、ア〜、ウ〜。としか話せなかった。言葉の学校に通い、話せるようになったが、吃りがひどく、シャベRて無い頃よりも虐めの対象に、学校では、虐めによる癇癪で毎日のように硝子を割りながら渡り廊下を走っては先生に、呼び出された、父にも母にもビンタされた。悲しくて更に癇癪。当時は今のように自閉症時の扱い方が一般に知れるような本すらなかったから、本当は、今風に穏やかに、させるにはハグが良いんだけど。僕の扱いに母さんも困ったんだろうね。僕、生まれてから、母さんに抱きしめてもらった事が無い。その件を、今年になって主治医の精神科の先生と父と話し合った。本当にハグして欲しかったんだ。犬が死んだ日「母ちゃん、抱っこしてよ!」と僕は母に訴えた。「子供見たいでしょ!」と母に手に甲を叩かれた。悲しくて、更に泣いた。父さんが僕の家から連れて行った犬が「ウルサいから殺す。」って、わざわざ、精神科の病棟まで電話呼び出しで、悲しくて怖くて、母さんにお願いした。「母さん、みんな無駄吠えする犬じゃないよ。不安なだけだよ。母さん、僕の代わりに犬をぎゅうって抱きしめて、一生のお願いだよう。」母は「昌也、お前が入院したお陰で忙しくて、全然、近所付き合い出来ていないんだよ!みんなM母さんの漬け物が届くの待っている人が沢山いるから、漬け物急いで漬けないとならないから、犬どころじゃないよ。」悲しくて、悲しくて、ずっと寝られなくなった。母親の愛情が薄い男子は,GFに母親の理想像をを見るそうである。ケース的には多い事例、クリエーターに多い化女性願望も、これらをほったんとするそうである。更に、僕は遺伝子異常で女性ホルモンが多いんだ。出逢った事がある方なら、おわかりだろうが女装や女言葉使わないが男性として意識しないはずだ。大好きなSちゃんの事を「お母ちゃん。」って呼び間違うのも、幼少時の母親の愛情の希薄によるものだって。ゴメンネ、Sちゃん。映画『イントゥ・ザ・ワイルド』 オフィシャルサイトベトナム戦争末期、僕は歯が痛い訳ではないが、大好きな一番年齢の近い大好きな叔母、丈ちゃんの働く歯医者に通った、近所では兄弟だと思ってた人も多かった。彼女は母の代わりに僕を学校へ行くときも遊びに行くときもオンブしてくれた。容姿は自分ではブスだと言っていたが、当時流行のアイドル天地真理を少し奇麗にした感じだった。僕は天地真理のコンサートに行く程、真理ちゃんが好きだった。だって、大好きな丈ちゃんに似てたからね。歯医者に通ったのは、丈ちゃんの仕事を覗くのも好きだったけど、其処のひんやりとした待合室にあった漫画の週刊誌が見たかった。目当ては小年サンデーに掲載されていた望月三起也の「夜明けのマッキー」だ。この漫画が無かったら僕は絵描きに成っていたと思う。この漫画に登場する主人公の自身の写真で戦争を終結させるという使命に燃えるカメラマンに憧れ、もう僕もベトナム写しに行かなくちゃと決めた。まだカメラすら手にした事が無いが、粋なり、決めた。それまで絵でも書道ででも彫刻でも、どれも始めて一ヶ月くらいで大きな展覧会に入選していたから、カメラさえ手にすれば、もうベトナムに行けるくらいに思っていた。1970年代初頭の話である。子供達の遊びも当時は毎日の戦争報道に戦争ごっこが大流行り、僕も開発局に勤める伯父さんに貰ったヘルメットを国防色に塗り父のカメラを銃の代わりに首から下げ「開戦は〜じまった。」の合図で野山を駆け、川を飛び越えた。カメラを手にした僕は、どんな写真を写して居たかと言うと。僕の一歳の誕生日に貰ったアメリカンコッカーのチエッキーにシロルメグサの髪飾りをつけて、時にはサングラスかけさせたりして庭一面のデイジーのカーペットの上で何度も何度も何ロールも写していた。残されたフイルムを見ると、大好きなSちゃんを写す時と同じ心境だったのではと想像する。いつか引き伸ばし機を手に入れたら皆さんに見て貰おうと思う。父が状況時代から海外の映画特にアメリカ映画のファンだったから当時のハリウッド女優の写真が家にあったからポートレートにも興味がある。当時の僕のモデルは犬のチエッキーと、爺ちゃん。戦争ごっこに爺ちゃんの猟銃を持ち出したときは顎が外れる程、殴られたけど、僕は大好きだった。爺ちゃんは、僕の従軍カメラマンへの話に、爺ちゃんが昭和新山の大爆発の被災者の痛い捜索の任務で、警察犬を率いて警察官として本州から北海道に渡り、来る日も来る日も遺体の中を歩いた話を聞かせてくれた。爺ちゃんがわかさいも本舗の創始者とゴルフやハンティングに友達付き合いをしていたのは、この頃に始まったようだ。子供心に壊れた、今で言うB品のわかさいもは美味しかった。
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by mugnum-yoda | 2010-08-01 20:08

入賞(5名)2万円相当。

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笑っちゃうかもしれないけど、僕、最後にお金を、持っていたのは、何時だったかすら解らない。新千歳空港空の日写真コンテスト/a>の賞金2万円、羨ましい。誰か僕に機材持たせて欲しいよう。
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by mugnum-yoda | 2010-08-01 16:40

最優秀賞10万円

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新千歳空港空の日写真コンテスト2010の広告を新聞で見て、心が騒いだ。、今、本当にお金が無くて、撮影の現場復帰へのリハビリを続けられない。悲しいけど、現実。最高のアシスタントであり、最高のモデルである最愛のSちゃんに、逢いたい一心で、彼女の家から15分の場所に転院して来た訳だけど、近いとは言え、やはり家業を抜けて、ガス代も、それに手ぶらで来るような性格じゃないから、かなりの出費になるんだと思うんだ。以前のように「Sちゃん、このお金で依田さんの面倒見てあげて。」と言う方も無くなったしね。そんな時に見た最優秀賞10万円の文字は、何だか、にやけた。小学、宙学、高校と、絵のコンテスト、プラモデルのコンテスト、作文のコンテスト、お習字の大会、写真のコンテスト。笑っちゃう程、文部大臣賞とか北海道知事賞とか、道立美術館館長賞とか貰ってたから、ひょっとしたら10万円、僕のもの?何て考えてた。ッ撮影代金の取り立てとか、だらしないと商家に育った彼女からも写真家の大先輩からも言われてたので、
ニセコ時代の写真を開発局さんに、蘭越町役場さんに無断使用された件とか、ニセコのイベントで壊されたカメラ,レンズ、三脚の件とか、未整理と言うか、いいやいいやで澄ます性格が生んだんだけど、それを良い事に、一杯、騙されてね、それこそ彼女にだらしないと思われるの嫌で、友人を介して、穏便にと思ったけど、あれも、これも、やっぱり泣き寝入りしなきゃ駄目なんだ。なんとかして、次のステップに昇れるように機材が少し欲しい。皆さんニセコは夢の国だから、落とし穴,一杯だから、注意してね。まじにあり地獄。
ブログランキング参加しています。生憎、写真機材手許に無くて、ベターハーフのSちゃんと一緒の時じゃないとカメラ手に撮る事が出来ませんが、写真への思いはつのりばかり皆様のコメントとポチリは僕の精神安定剤。頑張って誰かの何かに役立てる記事を毎日お届けします。今日も、ポチリ応援お願いです。
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by mugnum-yoda | 2010-08-01 16:28
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新千歳空港空の日写真コンテスト2010の応募が始まったので、古いデータをレタッチ、募集要項を見るとデータでの応募出来ないんだって、プリントオンリー、差別だよね。プリンターぐらい欲しいよね。写真やらないのにワードの文書をプリント出来る患者さんも、悔しい。せめてA4機とは、行かないまでも、はがきプリンタぐらいあれば、生活変わるよね。Sちゃんのお父さんにもお母さんにも彼女の写真をプリントしてプレゼント出来るし、僕の写した脳風景とか犬の写真とか、実家の父さんも母さんもPC環境が無いから見た事が無いんだ、道展に毎回、農業風景の油絵で入選している母さんの下絵素材にもプリンタあるとプレゼント出来そうだしね。勿論、彼女自身、自分の写された写真、一枚も持って無いからね。僕もベット周りに、ベタベタ彼女の写真で埋め尽くしたいしね。
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by mugnum-yoda | 2010-08-01 15:58
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2007年7月15日の記憶。狼犬レディの死、妻の蒸発でどう考えても変になった僕を日夜支えてくれた牧羊犬サンダー。きっと僕も一匹の羊だった。そんなニセコの暮らしに男女問わず、勝手に入って来て大切な物を沢山奪われた。そんな泥沼から、こっちにおいで!と救い出してくれたのが、皆さんご存知のスーパー可愛いカッコイイイ僕の最愛のSちゃん。中学校一年から一眼レフを持ち始め、写真歴ばかり増える一方。ブログ大賞を得たりして、ニセコ界隈の方には写真がプロ並みに巧い事が知れ、もともとNOが言えない僕は、重宝に使われ、ホテル、ペンションの内装写真、温泉旅館のフード撮影、道具が好きだしディレクター時代から、それぞれの写真をそれぞれの分野のプロはどう写すが頭にあるから、それを用意して仕事に挑む。気分はプロカメラマンだった。何時になっても請求書に対して答えが無い。ある時は空領収を切るように言われ、其れが無いと社長から決済が降りない、なんて内情を僕は鵜呑みにして印紙まで何度も張った。約束ではかなりの金額が入る予定。その大本の社長さんと温泉で裸の付き合いだから100%信じた。入金を信じて写真機材、プロ用のグラフイック・デザインが出来うるDTPツールの一式を手に入れるが。肝心の入金が無く、イライラ、日銭の農家の手伝い、アウトドアガイド、くたくたになるまでやった。胃通にボルタレンを愛用する日々。夜間緊急外来のまま、帰らない僕を待っていてくれたサンダーは愛おしかった。そんな事を重ねる、格好悪い僕に、栄養補給と最愛のSちゃんが小樽から深夜に何時間もかけてお見舞いに来てくれた。嬉しくて泣いちゃった。丁度その頃、自分自身の写真家としての立場が不明解で、当時の僕としては清水の舞台でManfrottoのスーパープロ三脚を手に入れた。もう俺はスーパープロだと言い聞かせて写し続けた。古くから僕はアンセル・アダムスを研究して来たんだけど、子の三脚の地上高が、更に理解を深めさせてくてくれた事は言うまでもない。超広角に、超望遠にと表現を確かにする事は僕の太鼓判、皆様も是非161MK2Bを手に入れてみて下さい。そして僕とアンセル・アダムスを熱く電話で語りましょう。持ってるよ!のコメント下さいね!
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by mugnum-yoda | 2010-07-24 15:30 | SWEET LOVE

いよいよ、僕の季節。

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2008年7月27日の記憶。本日の北海道新聞に小樽、潮まつりの特集の見出し。内容を確認したくて、うろうろしたが、二回詰所の新聞は、中々、見る順番があり、僕は暗黙の掟の中、回って来ない。読んでいる人の横から覗き込むと、「お前、まともに見れないんだろ、邪魔だから部屋に帰りなさい。」と、一喝。悲しいけど現実である。そう言う事が多いから、個人で新聞を的購読する人も少なく無い。まして病状で所有欲の強い人多いからね。同じ新聞を読んでいる人の側で、もう少し見たくて、何度も行ったり、来たりしていると、「読み終わったら、お前に売ってやるから金持ってこい。」悲しい、大好きなSちゃんに電話する為の10円すら、僕は持って無いんだ。でも、今日の潮まつりの記事は、見たくて、見たくて。道内に支店を持つ新聞社の全て、そして北海道新聞の仕事も、デザイナーとしてプランナーとして、報道カメラマンとして、お手伝い、沢山して来たのに、新聞見れない。只で、一杯、写真も提供して来たのに、一日分ぐらい正直,プレゼントして欲しい。皆様、潮祭りの詳細は第44回 おたる潮まつり ♪♪ | 小樽観光案内所スタッフブログも併せてご覧下さいね。本日の写真は、先日のエントリーの物語に登場の若き漁師と奥様です。ありがとう。
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by mugnum-yoda | 2010-07-22 11:50

そろそろ出船だね。

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夏カモメ 現れ病棟 客船に / 依 田 昌 也
この写真を写した朝も、僕を見失わない距離に、最愛のSちゃんがいて、僕の撮影の一部始終を、家業の配達、仕入の連絡を待ちながらワゴン車の運転席から見ていた。2007年の夏の日。PCの中の、この写真を眺めながら2009年の夏、僕は病院から一歩も出ずに、大好きなSちゃんとの時間を来る日も、来る日も回想した。そんな時、窓から中庭越しに空を見上げると、一匹の大きなカモメが紺碧の空に円を描いた。その瞬間、僕の病院が白い客船そのものに見えた。その日から閉鎖環境で行動制限が多い病棟だが、病室では無く船室だと思うと、すこぶる心が楽になった。窓からの現実の景色は変わらないが、毎日、見続けていると、何かの拍子に、心が変わると、目の前の景色が、がらっと変わる。僕に、その何かの拍子を与えてくれるのは、いつも最愛のSちゃんだ。この俳句に登場する夏カモメとは、勿論、最愛の僕の女神Sちゃんの事である。芸術表現に於けるメタファー(隠喩)に深層心理の自分を込める事は、セルフレスキューである。絵画も音楽も、文学も、勿論、写真、映画も何かしらの寓意性を孕ませなければ、昇華しがたいのではと、精神科的病状の治療を受けながら僕は考える。見ている写真ブログの皆様。僕に貴方の心を見せて下さい。本日、僕は.早朝、休日のリーダー看護士さんよりSUNSTAR STROBOさんより届いたダブル調光できるD-seriesジェネレーターの詳細カタログに、何時に無く、少年の頃のように、心ワクワクです。あの娘に逢いたい。あの娘が写したい。カタログ奥って下さるメーカー、取扱業者の皆様、本当に、ありがとう。僕はアートディレクターとして、デザイナーとして、コピーライターとして、製版職人として、印刷機オペレーターとして、DTPのプロとして、版下屋として、イラストレーターとして、写真家として、数えきれない程のカタログの製作の現場の中で生きて来ました。はじめてが19歳の時で、現在49歳だから30年、経験を積んで来たので、カタログを手に取る喜びは、初孫を抱きしめる翁のような感じです。ありがとう。運んでくれた運送屋さん、ありがとう。
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by mugnum-yoda | 2010-07-19 07:38
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2008年7月15日の記憶。思い返せば、三年前の夜も、そうだった。僕が絶好の撮影タイミングの時に、誰よりも上座に席を何者かに誘われて陣取れた日は、必ず、最愛のSちゃんに、誘われて現地まで彼女に運んで頂いている。水難救助訓練の時も、潮渡りの朝も、潮太鼓の夜も。ロシア貨物船激写の朝も、火事報道も。彼女に誘われた日は、不思議と、どんどん僕を核心に送り込もうとする見えない力が僕を誘導した。社務所の人が、警備の人が、警察官が、消防士が、税関職員が、こと小樽に於いては僕と最愛の相棒Sちゃんの侵入を妨げる場所は無かった。不思議だった。彼女が元小樽市役所の職員で事情通なのを、差し引いても僕には神のご加護のように思えて仕方が無かった。ひょっとして彼女は、子供の頃に自転車の荷台に括り付けて、爺ちゃんの元へ運んで来た瀕死の白鳥の化身で、僕に恩返しに来たのではと疑った事もある。ニセコ近くの目名川と尻別川の合流で、ある暑い晩夏、渇水で昇り下りの道を塞がれたもがく鮭の一軍を、僕は狂ったように裸になり鮭を救い上げTシャツを濡らしくるんで、遡上出来る水量のある伏流まで運び水に返した200匹近くの鮭の一匹が彼女だったのでは?とさえ思った。物語の「蜘蛛の糸」を今も尚、信じている。彼女には鰭も翼も無いけど、僕に翼が欲しいと言い出した事があった。もしも、TATOOを入れるなら?の話の流れでね。天使の形や龍の形はしてないけど、僕にとって彼女は女神そのものである。彼女のブログ住吉神社にても見てね。写真ブログランキング参加しています。皆様、少し心にも明りが刺して来ました。現場復帰への励みに、今一度カチャリ!と応援願います
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by mugnum-yoda | 2010-07-18 17:39

長距離ドライバーの孤独

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2007年6月21日の記憶。アラン・シリトーのあまりにもパンクでアナーキーな有名な小説に『長距離ランナーの孤独』と言うのがあった。PUNKROCKの生まれ故郷、イギリスは労働者階級層の、お話。かのROLLING STONESもSEX PISTOLESも背景を同じとする。「理由なき反抗」「エデンの東」と並び不良少年文学の古典であろう。
まず、本日のエントリーは親友タカシF君に捧げる。格好付けてる訳じゃなくて、愚痴聞いて欲しくてさ。もう、何だか何だか解らんくなっちゃうくらい、寂しくて悲しくて、誰かと話したいけど、彼女と繋がる電話機は無し、テレフォンカードは無し、ピンク電話用の10円すら無いんだ。ふと、この、もう一年も大地を踏みしめていない現実に、鳥籠暮らしに悲しくて、空しくて、切なくて、黙っていても孤独感に涙があふれちまうんだ。何故か怒りすら覚える。まして月の威力が一番強い夏至の今日、病棟では、この見えない圧力に体調を心を見出す人が、更に夕刻の夕暮れ症候群と雨模様の不快指数も相乗して賑やかな夏至の果てとなっている。明日は病院の大きな作業療法イベントの動物園見学。様々な事情で参加出来ない人が吠えている。僕は、お金が足り無くて、この時期、外出するに必要な衣類も靴も準備不足。ファッションの街、原宿でもお洒落で有名だった僕には悲しすぎる仕打ち。今日は、明日の振り替えでリネン交換だった。前後左右裏表の間違い減ったが、担当看護助手さんに、「もうマイヤー毛布をタオルケットに換えなきゃ駄目だよ!」「夜30℃もあるでしょ?彼女さんに御願いしなさい。」去年、お古で良いから頂戴と御願いしたのだが…、と僕は口を尖らす。「誰だって、忘れる事あるから電話しなさい。」多忙なの解っていても大声出したくなる。自分が小さくて格好悪いしさあ。悲しい事だらけ。孤独と言えば運送屋の頃も、目まぐるしい程に忙しかったが、その忙しさに酔う自分も居たけど寂しかった。一本、長距離得れば、机に座って頑張ってる連中が驚く程に金になって、当時、古着のビンテージのコレクション、中古レコードのコレクションしていた僕は、そのプライスの高さに、一切躊躇する事無くコレクションを重ねられたけど寂しかった。何故か、そんな寂しさすら格好良いと自らが置かれた現実を美化していた。そんな時のささやかな愉しみであった車載の違法無線機。覚えているだろ?今夜はまさに、病棟に無線機を持ち込みたい気分だ。愛車は相棒だったね。愛車と言っても自分で選んで買い揃えた車じゃない。会社から、それぞれの経験,運転スキル、作業量に併せて支給された言うならばパートタイムラバー。TVドラマシリーズの「ナイト・ライダー」のナイト2,000号のように僕も、それを愛し、孤独な時を、重たい荷物に汗した日も一緒に過ごし、愚痴も聞いて貰った。運送業を齧った事がある人なら誰でもやるように支給された車にパーソナルなステレオを組み込み、内装をベルベットに豹柄に、メッキバンパー、メッキミラー。エアスポイラー、アルミホイル。グリル変更、イルミネーションランプ。と僕も普通乗用車の一台くらい買える金額を投入し、相棒を美しく飾った。その後、僕は雑誌VANNING& TRUCKI'Nの仕事をするようになったのだが、この世界の入り口を教えてくれたのが、タカシが教えてくれたリアル運送業世界で學んだ長距離ドライバーの孤独が生み出す。美の追求だ。誰だって自分のパートナーを一番美しくなるように努力しない奴は居ない筈。そんな僕のわがままに答えてくれた最愛のSちゃんの実物をタカシ君に見て欲しいよ。雨の東名高速、午後二時、早朝必着の沢山の長距離ドライバーに混じり僕も孤独を愉しむふりをしてアクセルを踏んだ。子供からの癖で孤独が極まれば極まる程に脳が冴えて冴えて、眠気覚ましのモカ剤が、興奮させるのか、僕はいつも考え事をしていた。冒頭に紹介した小説をランナーからドライバーに変えて映画を作りたい。と、何度も脚本を直した。この部分はクレーンで俯瞰撮影だとか、同スピードで並走して追い越しクロスで撮影とか、気分はもう映画監督で東へ西へと繰り返した日々。2007年の夏至を挟んで、北海道の湾岸線を北海道が生んだアナーキーでパンクなベストセラー作家、馳星周氏と、彼が描いた「Amazon.co.jp: 約束の地で」と言うロードストーリーをトレースした。ドライバーは僕、積み荷事故は起こした事が無い僕も、この時ばかりは緊張の連続だった。相変わらず綿密なリハーサル好きな僕は、同じ道順を本番まで二度,往復していたが、それでも緊張した。ひょっとしたら緊張のあまり吃りが出ていたかも?と推測する。道中、彼との会話からか、見る景色、全てが映画の場面場面のようだった。まして僕は大のロードストーリーフリークだからね。映画「イージーライダー」「カルフォルニア」「スターウオーズ」「エンドレスサマー」「ストレイト・ストーリー」「トウルーロマンス」それぞれ話し始めれば、ひとつひとつに文庫本一冊くらい書ける程、話したい事だらけだ。本日エントリーの写真、彼とスタッフを函館飛行場まで送り届けた帰り道、単行本の捨てカットに使えないだろうか?と考えながら、年間で最も太陽の出ている時間の長い夏至の一日を、恐らく早朝から走り込んでいるであろう長距離トラックに、自分自身の青春時代、親友タカシ君の姿を投影して写した。勿論、限られた条件の中、徹底的に美化してね。まだまだ、僕は長距離ドライブの最中。積み荷は、大切な命の恩人で最愛のSちゃんだ。タカシは、僕をびびりだ、チキンだと言うかも知れないけど、亀のように遅くても僕は安全運転しかしないよ。積み荷事故ゼロは僕のプライドなんだ。本体が大破しようと僕は死んでもSちゃんを守り通すって決めたんだ。タカシありがとう。星周君ありがとう。Sちゃんありがとう。この写真を写しながら僕はDeep Purple -のSpace Truckingをシャウトしていた。中学生時代、DEEP PURPLEのコピーバンドのリズムギター兼ボーカルだった。誰かの曲にこうあっただろ?「シャウトするのがエクスタシー!」って。COME ON SPACE TRUCKIN'!いつものように独リ大騒ぎしながらシャッターを重ねた。原宿時代COOLSのリードボーカルさんが始めた"SHOT!"と言う新しいブランドのデザイナーとして僕も仲間に加えて頂いた。
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by mugnum-yoda | 2010-06-21 16:41

追悼、Dennis Hopper

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デニス・ホッパーさん、74歳で死去 『イージー・ライダー』で一世を風靡 - /a>の今朝のニュースに、焦りまくった。脳外科的症状のフラッシュバックでもなく、精神科的症状のフラッシュバックでもなく、彼にまつわるエトセトラがフラッシュバックして止まらない。焦る。実は、このアスペルガーたる特殊構造の脳で、僕は、この記憶、記録のフラッシュを意図して自由に扱える。検索ワードで脳内の引き出しから、一気に取り出せる。更に映像に関しては、似たような画像を、選りすぐりスクロール。クリエート作業に向いた人が多いのも、同じような脳構造が由縁であろう。今回のエントリーの写真、相棒のブログ記事RIDE ON TIMEに呼応しようと用意したばかり、でも、今回は一人のクリエーターとしてデニスさんに影響された事への感謝を追悼にしたいと思います。
皆様は、デニス・ホッパーと言うと馴染みが薄いのかな?どう言えば良いかな?やっぱり、セオリーどおり、映画"EASY RIDER"の監督主演した人が、通り良いのかな?僕、ブログでもプライベートでも自由を表現するのに、この映画”EASY RIDER"の冒頭の腕時計のシーンとガソリンタンクに忍ばせた枯れ草の話しを友人に後輩に弟子にして来た。実は後日談で、僕は某有名の日本のメーカーの輸出向けプロモーションビデオで、その冒頭シーンを、そっくりCOPYCATした。RIDER繋がりで、僕はシュチュエーションをサーファーが波探しの旅に出ようとするシーンに置き換えた。ベニスビーチ、サンディエゴ,バハカルフォルニア、ニューメキシコと足早に撮影した。何でも仕事に遊びを持ち込みたかった。その逆の遊び場に仕事を持ち込みたかった。この仕事も、そんな一連のひとつ。冒頭シーン、ベニスビーチの外れ、オールズ・モービルのオープンにサーフボード、金髪女性を満載して、当時流行していたシリーズ映画”キャノンボール”的なコミカル演出で、本家と同じく腕時計を投げ捨てる。これを見ていた。ヒスパニック達が、こぞって金メッキのロレックスを売りに来る。其処へ、想いっきり車高を上げてワイドタイヤを履いた4WD車が大爆音で登場。クローズアップ。先ほどの捨てられた腕時計にタイヤが乗り上げる瞬間!つまり捨てたけど潰されたけどG-shockは壊れない。を子供の頃に見た。像が踏んでも壊れない筆入れのように真似してみたかった。落ちは先ほどの時計売りが売ってくれとせがむシーン、ロレックス三本と交換してEND。EASY RIDERの中でエイプハンガーと呼ばれる、アップハンドルのハーレーでは無く、ドラッグライザーと呼ばれる一文字ハンドルのハーレー乗っていたCOWBOYHATの男がデニス・ホッパー。その他、沢山の映画に出演しているけど、皆様が知ってそうな映画だと、キアヌ・リーブス主演の”SPEED"に登場する頭の切れる爆弾魔の役かな?バスジャックしたバス内の状況を知る映像が、エンドレステープによるフェイクだと気が付くシーンの名演技。忘すれもしない。僕のはじめての就職先、印刷とか製版とか、版下屋とかはアルバイト。就職先は、原宿に三店舗、青山に一店舗、系列飲食店一店舗のロックバンド、COOLSのリーダーが営む会社だった。その時の同期がアーティストのクレージー剣君、そしてひとつ後輩に、最近コメントを入れてくれるタカシ君がいた。毎日、毎日。メンバーのカスタマイズしたハーレーをアメ車を洗ってワックスかけて、春空夏のこの時期は、曇りひとつ浮かないように徹底的に磨いた。何時も、少しだけ場所を移動して、出来るだけ一目に着く所で、その作業をしてた。可愛がってた渋ガキ隊のメンバーが覗きに来たり、ハーレー繋がりで銀のアクセサリーで有名なgoro'sの五郎さんが来たり。元メンバーの岩城滉一さんが遊びに来て僕らにソフトクリーム差し入れてくれたりね。僕らもメンバーの人気の七光りで、女性週刊誌に良く写されたpopteenだの、Gal'sLife 、Fine、SevenTeenとかね。どうも本当は僕らはメンバーのように硬派を目指していたけど、編集者の目からは甘いマスクと判断されて随分と写真写された。当時の仲間だとタカシ君のマブだった沖田君とか、その後、COOLSの身内関係からはフミヤ君とか甘いマスクが人気だった時代。タカシ君も僕も雑誌のファンの人気投票じゃいつも上位だった。(笑)僕らが与えられた仕事場は""CHOPPER”と言うブティック、今で言うアメリカンなライダースウエアとロックンローラーの洋服の店。根っからの小文で探求分析しないと済まない僕は、ハーレーに関する事、ロックンロールに関する事,インターネットなんて無い時代。相変わらず近所の嶋田洋書に出向き、新刊の索引からタイトルから連想して、注文しまくった。大当たりもあり、外れも多かった。(笑)洋物バイク雑誌のグラビア(注文で買うとマジックの修正が無かったね。)キラー通りを下った霞町のアマンド近くに、僕がグラFヒックで御手伝いしたDCブランドのハッカさんの並びに、夕陽評論家の湯井さんが営むスポーツトレインが出来て、僕は海外通販を彼に教えて頂き、購読していた洋書、EASY RIDERSやHOTRODで本物のバイカーグッズ等を手に入れ、それをサンプルに現物型紙を起こし、工場発注、パーツ選びしてオリジナルの製作の糧にした。恐らく、今、巷に溢れている鎖付きのバイカーズウオレットを日本ではじめて制作したデザイナーは僕であろう。
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by mugnum-yoda | 2010-05-30 14:16 | WHEELS