2008年12月5日、老舗ロックバンドTHE MODS撮影中!くも膜下出血を発症、一緒に仕事をしていた最愛の女性の迅速な対応が功を奏し、重症ながら危篤から生還。身体の後遺症、心の後遺症の中、自分探ししています。


by mugnum-yoda
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バルビゾンを追い掛けて

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『とりわけここの風景素晴らしい。……要するにここに、しばらく暮らしてみたいのだ。』とは、敬愛する巨匠ジャン=フランソワ・ミレーが1849年6月28日、友人で代理人のサンスィエ氏に宛てた手紙の一節である。彼の言うこことは、その年、政情不安とコレラの蔓延するパリから家族を連れて、始めて訪ねたパリ郊外のバルビゾン村に避難する。そして、暗く煤けたパリから久しぶりに美しい自然の中に身を置くうちに、この土地に、すっかり魅了されてしまう。数週間の予定が、結局、そのまま他界する迄の26年間住み続けた。北には豊かに麦が実るシャイイ平原、東には有名なフォンテヌブローの森が隣接する土地で、彼は、農作業に汗する人と自然をモチーフに描き続けた。僕がニセコに足を踏み入れた年は、北海道拓殖銀行の破綻とともに崩れた北海道バブル、広告業に身を置いた僕の身にも、広告主から、代理店から実費すら回収出来ない有様だった。そんな暮らしの転落に東京は青山の社長令嬢だった当時の連れ合いが、キツい重度の心の病で入院、一日たりともお見舞いをを休んだ日がない。格子だらけの病棟、玄関から彼女のに逢う迄、先導する看護士が開いた施錠の数は10できかなかった。主治医からアドバイスで、「思い切って、都会を離れてみると良いですね。昼夜、一緒に、いてあげれる暮らし仕事が…。」思い立ったら直ぐ実行。大義名分とは裏腹に自分の意思ではないニセコ、都落ちのようで辛くてさあ。そんな鬱々とした日々に、このミレーの手紙の一文が僕を救ってくれた。新規就農、農機具を慌てて調達する足下をみられたせいか、本当に何度も騙されて、一台も手元に残らなかったのに、三台分のトラクターの金額を支払うはめに、「来年は全部任せるから、今年はこれで、」とスキー場の草刈り、バイト迄、雇って原価にも届かない。おまけに、揃えた機材は壊されるは、取り上げられるし、信じ過ぎる事を馬鹿呼ばわりされて本当に悔しい日々,そんな頃、更に輪をかけるように、その時の連れ合いが蒸発。その日から僕は廃人のように虚無の中。一頭の狼犬だけが僕の救いだった。何で犬達は涙が好きなんだろうね。「何で今日は泣かないの?」とばかりに顔を覗き込んで来るよね。不甲斐のないニセコの暮らし、どうもしようがなくて、ニセコって凄い美しいと自分を錯覚させたくて、来る日も来る日も写真を撮り続けた。本当のニセコじゃない、僕が作り出した架空のニセコを自分自身で楽しんだ。役場もひどいし、カメラ下げてるだけで変質者扱いの小学校も農協も酷いニセコ。自分で良い所だと言い続けなくちゃ、元来の放浪癖に襲われそうだったし。昨日訪ねてくれた友人から聞かれた。写す理由についての返答です。そして、今は小樽がミレーの言うバルビゾンなんだ。大好きな人も生まれ育った街だしね。僕の素敵な人の生まれ育った小樽って凄い奇麗でしょ。って沢山の人に、まだまだ自慢し続けたい。勿論、愛する人に見せたくて写したいのだ。質問を寄せてくれた彼に取っての写真は、名声であり、お金の手段と言っていた。そのような言い方をすれば僕の場合、コミュニュケーション障害をもつ僕にって写真はコミュニュケーションツールであり、心の病からのセルフ・レスキュー手段にほかならない。彼が来てから手元にカメラ機材がない事に苛立って嫌だよう。小樽を写しに行く機材が無いよう。防寒靴が無い。手袋も帽子もジャンバーも。Sちゃんの車の中らでも良いから小樽を写したい。
ブログランキング参加しているはず。皆様オイラ何位なの?。クヨクヨのオイラにカポチリ!お願いです。コメントも、愉しみです。Sちゃんを、僕を喜ばして欲しいよう。
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by mugnum-yoda | 2010-02-04 13:29