2005年6月20日の記憶。古い古い写真。ブログなんて知らない頃、勿論PHOTOSHOPも、持っていない頃、デジタル一眼レフすら、持っていなかった。庭師として、作業前、作業中、作業完了の現場写真用に、また、アウトドアガイドの私的記録として、携行していただけの現場用カメラ、FUJI HD-1。アナログ時代のFUJI HD-1の、雑誌広告を手がけていた経験があったので、僕のフイルムからデジタルへの乗り換えは、迷いは無かった。フイルム時代のHD-1は、東京時代、ご用聞き、お使いで、下請けで、出入りした浜野商品研究所の代表、浜野安広さんが、自身の釣りを始めとするコアな水辺でのアウトドア遊びの中での失敗談、ほら話から生まれたロジックをプロデュースに込めた歴史的カメラである。彼はリーリース時の広告のモデルまで勤めている。(笑)。また同時期、安広さんが開発したウエスタン調のフライフイッシングベストが僕もデザインで関わっていたFOXFIREと言う釣りウエアブランドからリリースした時も彼は自らモデルを務めた。それがリリースされた年の総合カタログの商品撮影に僕は立ち合った。この頃の製作の現場は、誰もがアイディアを持っていれば、デレクションに加われた。「マサ君、色っぽい指先してるな、女性好みの知的な手だな。詰め切って、手のモデルしろ。」誰もがモデルだった。デジタルに、なってしまったけど、FUJI HD-1を首からぶらさげると、いつも、僕は、あの日の浜野安広先輩になれた。精神科的に言うとアップ状態になった(笑)皆さん達は、クリエーター、プランナー達、特有のマシンガントークに触れた事があるだろうか?無駄なおしゃべりじゃなく、研ぎ澄まされた言葉。バブル時代は、本当にダイヤモンドの原石として重宝された。僕も、そんな中のひとり。ジャガイモの花が咲き揃った朝、ニセコでは、其の年、第一回目の防除スプレーの日になり、