海にまつわる戯言
2007年 07月 15日
明日は海の日、だからどうということはないのだが海に行きたいね~
海を意識したのはいつのことだろうか?臨海学校か?
ルアーの釣りで釣れた初めての魚はビシャ別という浜でサメだった?
写真をはじめてからは冬は孤立する村、雄冬ばかり写しに行った。
昔から写真を撮るなら、撮影地の背景となる物語が気になった。
中学時代、小樽のヨットスクールが俺に海の怖さを教えてくれた。
高校を卒業し上京、その年にサーフインなる遊びを覚えた。
最初はもちろんファッション性で飛びついた。
しばらく仕事が面白い時期がありアウトドアなんて忘れかけていた。
そんな折、住まいの近くの不良な先輩と海に行く羽目に。
初めての茨城の海、犬吠、波崎、屏風ヶ浦、美しかった。
波のサイズはいきなりダブルオーバー
湘南でちゃらちゃらやっていた俺は何度やっても波に押し返され
まともにゲッティングアウトすらできなかった。
仲間には中高生も混じっての週末のサーフイン
ビックウエーブ志向でいつもサイズのある場所ばかり。
上手くいかなくて恥ずかしくて湘南でいきがって着ていた
カラフルなウエットスーツをやめ黒にした。
ダブルサイズの波をこなせるようになるまでは三年かかった。
それまでの間、デザインを起し撮影となると海ばかり選んだ。
ロケハンと言い張りサーフボードをつんで出かける日々。
かなり、本腰ではまり新島、大島、八丈をかわきりに
サーフトリップの罠にはまり、ノース、カルフォルニア、バハへ
旅というには長すぎる放浪生活に陥った。
サーフボードのファクトリーでブラシを吹いたりピンスト書いたり
ナセリーで苗に水をやったり、ビバリーヒルズで庭師をしたり
日本人であることが器用だと認められた時代だった。
海をこよなく愛したが、約5年間ほど実家に帰省することなく暮らしてしまった。
あのころの俺の原住民のような黒さを町田のおばちゃんだけが知っている。
6年ほど前、ワイススキー場の支配人とサーフインに出かけるようになった
ふつふつと湧き出した。今にも爆発しそうだったが、
当時は女房がいてがんばって蓋をすることに
そして、とうとうこの春、蓋が見当たらないほどぶっとんじまったよ!
父ちゃん母ちゃん!ごめんよ!水瓶座に生んだのもよくないよ!
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